母の家を片付けて、出てきたさまざまなものを母のパッチワークの生徒さん、私の友人、知人に来ていただき、お好みのものをもらっていただいた。
のべ50人以上の方たちが、予想以上に喜んでもらってくださり、布地などにあまり興味のない方も、見るのが楽しいと言ってくださり、思いがけず、私まで幸せな気持ちになった。
母が気に入って集めたものたち。使われることなく眠っていたが、人に選ばれて引き取られたら、きっと何かに役立つにちがいない。
今回物は使われてこそ生きると感じた。
母たちの世代は戦争中の物のない時代に青春時代を過ごした気の毒な人たち。大人になって物が豊富になり、とにかく手に入る物を手に入れなければ気が済まず、そうした物に囲まれて幸せだったにちがいない。
そして今母たちの世代のものを片付けなければならない私たち。
世代ごとに役割があるのなら、私たち戦前の親を持つ世代はダンシャリをしなければならないのだ!
できれば物を有効に。
母の友人の方から、お花見に誘われた。ホームに入るまで、ほぼ毎年参加していたお花見

今年は連れて行くことを決心

幸いお天気もよく、桜
も見頃
さすがに見頃の土曜日でお天気がよいので、入場するまで長蛇の列
ようやく入ってすでに桜の下で食べたり、飲んだりしている方たちに合流。
ビールや、皆さんが持ち寄ったものをいただき、久しぶりにお会いした方たちとおしゃべりをして楽しいひとときを過ごした。
出かけるときのいつものパターンの繰り返し。聞いている方がうんざりする
今日だけの繰り返しは「着ていたコートの丈が長い」ということ。
「私がすそをあげたのに誰かがとってしまった」とのこと。
母は元気な頃から「誰か」という架空の存在をよく想定していた。
認知症の特徴として、人のせいにするということはよくあるが、まあ都合のよい考え方だ。いつも自分は悪くない。
自分の状態がわからない病気だから仕方がないが、自分の持っているイメージと現実がどんどん離れていくようだ。
今日は電車の中で何度も「○○駅よ。降りるの?」「○○駅よ。乗り換えないの?」と言う。自分の降りる駅はわからない。
ホームの入り口近くで「今日はコンサートに行ってきましたって言うわ」と張り切っている。「コンサート?」と言うと「みんながコンサートにでていたでしょ?」完全に混同している。
今の母の状態だと思う。
ホームから系列のホームがいくつか集まって、某公会堂で発表会があるとの知らせがきていた。昨年のクリスマス会で若手の介護師さんたちが猛練習した成果を見せてくれて感動したその出し物(6〜7人でそろっていろいろな動きをするもの)を再びやるというので、見る
のを楽しみにしていた。
母のホームからの出し物はその他に入居者の歌
母も歌を練習していると言っていたが、はたして出演するのか
先日聞いてみたら、出るとのこと。行く人はホームからバス
で連れていってくれることになっているが、敢えて私が、迎えて会場に行く途中にランチを食べ、会場入りすることに。
会場近くのイタリアンでランチを食べ会場に行くと、母のホームの席にすでにみんなが座っている。
他のホームの歌や楽器演奏、ハンドベルなどを聴いた。どのホームもそれぞれに特徴があり、一生懸命練習した感じがわかる。
何かに向けてがんばるということは張り合いにもなり、すばらしいと思った。
母は迎えに行った時から、これからなり、何があるのかわからないと言い続けていて、誰もこの発表会のことを話してくれないと言い、何度説明しても、会場についても理解できない
「あんたこんな会があるって知ってたの
」ばかり言っている。
やっと最後に母のホームの出番が回ってきた。
クリスマスには若手だけだったのにその時に感動の涙で最後のあいさつができなかったホーム長もなんと今回は加わっていて、そのチームワークに感動
ブラボー
である。
母たち入居者22名のコーラスで、2曲。人数が多く、なかなかまとまっている
母だけでなく、自分の出番が待てず、「私はもう帰る」と言っていた方たちもステージでは一生懸命に歌っている。そのことにも感動した。
母のホームにはたまたまいいつながりを生む人達が集い、どんどん
な方向になっていることを感じた。こんな前向きなホームにいる母の運のよさと幸せを思った。
終わってまた2人で夕食に会席を食べ機嫌良く帰りついた
朝仕事をしてから母を迎えに行き、お誕生日に夕食を食べたホームの近くのレストラン
でランチを食べてから銀座のデパートでやっている展覧会に行こうとしたが、ランチとはいえども、前菜、スープ、メイン、デザートのコースを食べたら2時間くらいかかってしまった。そのため予定通り、展覧会に行けなかった
父のお墓参りに行っても夕食に間に合わない
そこで20分くらいで行けるショッピングセンターやデパートのある駅まで行くことにした。
買い物があってデパートの食器売り場に行くと久しぶりに来た母は喜んで見る・みる・
「これすてきね
」「これいいわね
」というものは、今自宅にあるものと同じようなものばかり。
もらいものも多いとは思うが、きっとあちこちで見て気に入ったものは買ってしまったのだろう。
母の中の言い訳は「若い頃は戦争で物がない苦労をしたから」なのだ。このトラウマは心の中の大きな部分を占めている。
買った物の包装に時間がかかったので、その間に10回以上「まだできないのかしら
遅いわね。何してるんだろう」と言う。
ホームの介護師さんから「集中力がない」と言われているが、落ち付きのなさがかつての母からは想像できない。
徐々にそれがひどくなってきている
1年経つのはあっという間
もう3回目になる介護認定の見直し
体の調査をするとどこにも異常はなく、片付けでぎっくり腰寸前の私よりよっぽど元気
つかまらないでベッドから起き上がる凄さ
相変わらずなところは生年月日は言えるのに年齢が言えない
家は10年前まで住んでいた一戸建てだと思っているところ
この間家族5人でジェノバ鍋を食べてお誕生日祝いをしたことをホームに帰ってからケアマネさんに聞かれると
妹夫婦とハムなどを食べて来た。娘とはほとんど話ができなかったとのこと。
私と会っているときはそれなりにわかっているのだろうが、すんでしまえば、評価なし

